キリスト像
キリスト像の左面に刻まれている碑文
わが国が開国して間もない文久二年(1862年)
キリシタン迫害以来絶えて久しかった天主堂が
この地に創建され、キリストの聖心に献げられた。
これは近代日本最初の教会であり、
現在の山手カトリック教会の前身をなすものである。
このたび天主堂創建百年にあたり、ここに聖心のキリスト像
を建立して、永くこの遺跡を記念する次第である。
1962年 4月29日
横浜天主堂遺跡顕彰委員会
初代聖堂
2代目聖堂
現在の聖堂
(画像は3枚は山手カトリック教会入口の案内板より)
居留地が過密になり、山手地区の住宅が増えたので、教会
も環境のよい山手へ移転、双塔をもつゴシック様式レンガ造
りの大聖堂が建てられました、ところがこの壮重な建物は関
東大震災により倒壊し、1933年(昭和8年)現在の聖堂へ
とその歴史が引き継がれました
カトリック山手教会の地図
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当時の教会
説明パネルに書かれている内容
横浜市地域史跡 横浜天主堂跡
(登録 平成13年11月1日)
文久元年12月(1862年1月)、
横浜居留地(現山下町80番地)において
開国後最初のカトリック教会の聖堂の献堂式が
行われました。
正式名称を「EGLISE DU SACRE-COEUR」
(聖心聖堂)といいますが、建物に「天主堂」と記した
文字がありましたので天主堂とも呼ばれました。
パリ外国宣教会から日本管区長代理として指名され、
フランス代理公使の通訳として来日した
ジラ−ル(Girard)神父が、万延元年(1860)6月頃、
横浜居留地80番地に聖堂建設用地の
借地権を取得しました。
まず司祭館の建設を進め12月に完成しました。
11月に来浜したムニク(Mounicou)神父がここに
住んで聖堂建設に従事し、翌年1月には
ジラ−ル神父も来浜し、聖堂は文久元年(1861)末に
完成しました。
その後、明治39年(1906年)、聖堂は、山手44番(現
山手町44番地)に移転しました。
震災後再建されたのが、現在のカトリック山手教会です。
昭和37年(1962)、天主堂創建100年記念して
碑が建てられました。
平成15年8月 横浜市教育委員会
記念碑のある場所・元町中華街駅2番出口すぐ。
場所の地図
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