[卵形下水管]
場所:山下町の横浜市中土木事務所の玄関。
説明文
〜横浜の下水管の始まり〜
ここに展示の構造物は、昭和56年2月に
中区山下町37番地先から発掘された卯形下水管である。
明治3年に関内居留地内全域に陶管を埋設した。
これが、わが国最初の近代的下水管であった。
その後、明治14年からこれをレンガ造りの下水管に
造り変えた。
その断面が卯形をしているので卯形管と呼ばれる。
この時の卯形管の一部は、中華街南門通りで
現在も使われている。
[明治時代の下水管]
説明文
この陶管は明治時代に、明治32年まで関内居留地であっ
た地域(現在の中区山下町と日本大通り)に埋設された下水
管の一部で昭和57年2月に山下町のシルクセンター前で発
掘されたものです。
場所:山下町の横浜市中土木事務所の玄関。
これは今は展示されてないです。
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[レンガ造りマンホールと下水管]
レンガ造りマンホールと下水管・ガラス越しに
見ることが出来ます。
場所:開港広場
写真の説明文
〜明治10年代に築造された
レンガ造りマンホールと下水管〜
(国登録有形文化財)
明治14年から20年にかけて、旧関内外国人
居留地(現在の山下町と日本大通りの一部)一帯で
下水道改造工事が実施された。
卵形レンガ管と陶管の下水道が整備された。
その下水幹線7本とマンホール37ヶ所は
レンガ造りで、材料のレンガは、
東京府小菅の東京集監のレンガ工場に注文して
築造されたものです。
設計者は東京大学理学部第一回卒業生、
当時神奈川県土木課係用掛の三田善太郎氏で、
これは日本人が設計したわが国最初の
近代下水道と言えるでしょう。
このマンホールは明治15年頃築造されたもので、
昭和57年4月にこの公園の整備中に発見され、
当時のままの状態で保存されています。
平成10年9月に下水道施設ではわが国初めての
国登録有形文化材に登録されました。
横浜市下水道局 平成10年9月
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