横浜・山手散歩
〜NO.3〜
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外交官の家

この場所にイタリア領事館があったことから、「イタリア
山」と呼ばれるようになり、公園の名の由来となりまし
た。「山手イタリア山庭園」は西洋庭園風に仕立てられ
ており、またその敷地内には「外交官の家」や「ブラフ18
番館」などの洋館も移築されました。


この建物はもともとは1910年(明治43年)に渋谷の南平
台に建てられ、内田定槌の私邸として使われていたも
の。内田定槌は明治から大正にかけての外交官で、そ
こから「外交官の家」の名があります。その旧内田邸
を、内田定槌の孫にあたる宮入氏からの寄贈を受け、
横浜市がここへ移築復元しました。建物を残したいとの
宮入氏の強い願いもあったらしく、移築に際して氏もご
尽力されたのだという。移築復元の工事は1995年(平
成7年)から1997年(平成9年)にかけて行われ、完成と
同時に国の重要文化財の指定を受けています。
   
ブラフ18番

山手イタリア山庭園の東側、一段下がったところに「ブラ
フ18番館」が建っています。関東大震災後に外国人住
宅として建てられた建物で戦後はカトリック山手教会の
司祭館として使用されてきたが、司祭館が新築される
のに伴って、横浜市が現在地へ移築復元したもので
す。もともとは山手町45番地に建っていたが、現在地が
旧山手居留地18番地であったことからこの名になったよ
うです。

世界のクリスマス展

横浜山手の公園に附属する七つの西洋館で、毎年「世
界のクリスマス」の展示が行われています。異国情緒
溢れる佇まいの山手西洋館に世界各国のクリスマスの
飾り付けがなされ、それぞれの西洋館がひとつの国を
テーマにして行われます。

2004年はロシアのクリスマスの展示でした。
ブラフ18番館の室内
     
横浜山手公園・テニス発祥記念館

1998年4月には居留地時代のテニスクラブに由来する
YITC(ヨコハマ・インターナショナル・テニス・コミュニテ
ィ)の創立120周年を記念して、「横浜山手・テニス発祥
記念館」が造られました。館内には山手公園やテニス
の歴史などのパネル展示や昔のテニスウエアなどの展
示されてます。現在の山手公園には12面のコートがあ
り、うち6面はYITCの占有なのだそうだが、残り6面は一
般にも解放され、広く市民に利用されています。
横浜山手公園・クラブハウス(旧山手68番館)

園内には「日本庭球発祥の地」碑が置かれています。
山手公園は旧山手居留地に暮らす外国人たちが日本
政府から土地を借り受けて開園したもので、その地代
や維持費の捻出のために「レディス・ローンテニス&クロ
ッケー・クラブ(LLT&CC)」に貸与され、このクラブが公
園内にコートを設置したのが始まりであったといいます。
現在もクラブハウスとして使われていて、建物は関東大
震災後に外国人住宅として建てられた旧山手68番館で
す。


横浜山手公園

山手公園は横浜開港期に山手の居留地に暮らした外
国人たちのために造られた公園で開園は1870年(明治
3年)のことで、日本にはまだ「公園」という概念が存在
していなかった時代です。1876年開園の横浜公園より6
年早く、1903年(明治36年)に開園した東京の日比谷
公園より30年以上も早い。そのために「日本初の西洋
式公園」として横浜の歴史の中にその名を刻んでいま
す。 園内には桜の大木も多く、春の桜の時期の景観は
とても素晴らしいです。
ヒマラヤ杉
1879年(明治12)にヘンリ−.ブルックというイギリス人が、インドのカルカッタから種子を輸入し山手居留地一帯に植えたのが日本での最初です。ここから全国に広がりました。

横浜市の名木古木に指定されています。
   
キリン園

えの木邸の脇の道路を下ると、北方小学校に突き当たります。その学校の横にこのキリン園はあります。

この地に清水が湧き出しビール醸造所を建てられました。隣の北方小学校の校庭にビール井戸が二つ残っています。1868年(明治元年)山手居留地123番地(現、中区千代崎町1丁目25番地)にビール醸造技師コープランドがドイツ人技師ウィーガンドと共同して、スプリング・バレー・ブルワリーというビール醸造所を建てました。これが、わが国のビール工場のはじまりです。

麒麟麦酒開源記念碑

工場のあった「キリン園」跡地が公園になっています。
この公園内に建っています。

    
妙香寺

妙香寺は山手公園の隣の小高い丘に建っています。
明治2年(1869年)10月薩摩藩の軍学生30名を選出し、ジョン・ウイリアム・フェントンの元、ここ妙香寺で合宿し日本吹奏楽発祥となりましたがこの時の曲目が「君が代」でした。ジョン・ウイリアム・フェントンが作曲しました。これが君が代発祥です。明治3年9月8日に東京の越中島というところで行われた天覧訓練のとき初めて演奏されました。その後、明治13年になって宮内省楽師、奥好義が作曲、海軍軍楽隊雇いのドイツ人エッケルトが洋楽に編曲して公表されたのが現在の「君が代」だそうです。

君が代発祥の地
日本吹奏楽発祥の地
  
メゾヂスト教会発祥の碑

アメリカ合衆国メゾヂスト教会派遣宣教師R.Sマクレ−
は1875年この地に会堂を建て天安堂と称し、6月20
日初めて礼拝を行いました。これが日本メゾヂスト教会
の起源です。日本キリスト教団横浜上原教会の創立1
00年記念事業として1977.6.20に建てられました。

山手本通りの一般民家の玄関に建っています。

     
YCAC
(ヨコハマ・カントリ−・アンド・アスレティック・クラブ)

日本最古の国際サッカ−試合は明治21年(1888年)
YCACグランドで行われた。横浜のYCAC(ヨコハマ・ク
リケット・アンド・アスレティック・クラブ)と神戸のKRAC
(神戸レガッタ・アンド・アスレチッククラブ)との外国人ク
ラブ同士の対抗戦でした。

明治21年(1888年)のYCACグランドは今の横浜公園
にありました。明治45年に今の場所に移転になり、その
後名前もYCAC(ヨコハマ・カントリ−・アンド・アスレティ
ック・クラブ)に替わっています。
   
根岸森林公園

ここは慶応3年に外国人クラブの主催で日本初の洋式
競馬が行われた場所で、明治13年に運営が日本競馬
クラブに引継がれ、東洋一の規模を誇っていた競馬場
は、昭和18年に戦争のため閉鎖されるまで多くの人々
で賑わいました。戦後米軍に接収され住宅地やゴルフ
場などに使用されていましたが、昭和44年に一部解除
された土地を国から借り受け整備を開始、なだらかな地
形を生かし、大きな芝生広場を中心にした森林公園とし
て昭和52年に開園しました。
現在の一等馬見所
昭和5年(1930年)に建設。アメリカ人建築家
J・Hモ−ガン(1877−1937)による設計です。

丘陵は広くなだらかな斜面が芝生で覆われています。
根岸競馬記念公苑のポニーセンターでは自由にサラブレッドやポニーを見学できます。また梅230本、桜340本 と花見にも最適です。
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