横浜・山手散歩
〜NO.1〜
■NO.1 NO.2 NO.3
山手の景勝地に最初に目をつけたのはオランダで、開港の翌年の万延元年(1860)6月には、
山手に領事館の移転を幕府に提唱しています。
その後、オランダ、イギリス、フランスなどの公使館や領事館が建ち並び、
住宅も建ち始め、山手は外国人のための高級住宅地となっていきました。
この山手散歩では洋館を始め、開港時代に開かれた学校、教会、墓地、公園などを紹介します。



港の見える丘公園

港の見える丘公園は、その名の通り横浜港を見下ろす
高台にあります。かつて横浜開港期にイギリスとフラン
スの軍隊が駐屯した場所としてよく知られています。
戦後、この場所は米軍に接収されたが、接収解除後に
公園用地として取得、昭和36年から整備され、昭和37
年に「港の見える丘公園」として開園しました。


  


フランス山
 
港の見える丘公園の高台と山下公園の間の緑地帯が
フランス山で、高台から下る、山下公園から人形の家の
脇を経てフランス橋を渡る、元町の奥の谷戸坂の下、谷
戸坂の途中などから入れます。夜間は立入禁止です。



左の画像はマリンタワ−の展望台から撮りました。









港の見える丘公園から見たフランス山

1923(大正12)年、関東大震災により、領事館・領事官
邸ともに倒壊します。その後1930(昭和5)年に再建さ
れましたが1947(昭和22)年に火災で焼失してしまいま
す。現存している遺構は、その際に焼け残った1階部分
です。

遺構は園内の工事の為、撮れませんでした。
フランス山のレンガ造り井戸

明治29年(1896年〉 にフランス領事館とその官邸が建
設きれた時、このフランス山にはレンガ造りの井戸が掘
られ、今はその遺構が残されています。
  
霧笛橋

大佛次郎記念館と神奈川近代文学館を結んでいます。
神奈川近代文学館

神奈川県は、とりわけ開港以来の歴史の中で多くの文
人に親しまれました。その歴史や文人達の足跡を一堂
に展示しているのがここです。夏目漱石、芥川龍之介、
川端康成、大彿次郎、谷崎潤一郎、三島由紀夫など、
日本の文壇を彩った著名文人の原稿などが展示されて
います。
 
 
  
大佛次郎記念館

横浜ゆかりの偉大な作家「大佛次郎」の業績と生涯を
様々な資料で紹介しています。大佛次郎は横浜に生ま
れ、そして横浜を最も多く描いた作家です。中でも「霧
笛」「幻橙」は開化期の横浜を愛惜をこめて描いた名作
として今も多くの人々を魅了しつづけています。
ローズガーデン
 
ローズガーデンは,港の見える丘公園を拡張した山手
111番館周辺と既設のバラ園を一体的に整備した洋風
庭園です。バラをはじめとして四季折々の花を楽しむこ
とができます。
    
山手111番館

山手111番館は1999年(平成11年)に公園が再整備さ
れた際、「ローズガーデン」の開園と同時に開館し、以
来港の見える丘公園の新しい魅力のひとつとして観光
客を集めています。
 
この建物は横浜山手聖公会やベーリックホール、根岸
競馬場観覧席などで知られるアメリカ人建築家J.H.モ−
ガンの設計によるもので、1926年(大正15年)に当時横
浜で両替商を営んでいたラフィンの居宅として現在地に
建築されたものだそうです。


   
横浜市イギリス館

横浜市イギリス館は、昭和12年に(1938)にRC2階、
地下1階、の構造で横浜英国総領事公邸として建てら
れたコロニアルスタイルの建築です。昭和44年に横浜
市が取得し、翌年からは市民利用施設として、1階ホー
ルはコンサートやピアノ発表会に、2階集会室は会議等
に利用されています。平成2年(1990)11月に横浜市
指定歴史的文化財に指定され、平成14年1月からは2
階に展示室と復元室を設けて一般公開をしています。

     
岩崎博物館

岩崎博物館は、関東大震災で崩壊してしまったゲーテ
座の跡地にゲーテ座を記念して1980(昭和55) 年、学校
法人岩崎学園・横浜洋裁学院(現:横浜fカレッジ)の創
立50周年記念事業の一貫として、当時のゲーテ座の資
料や、世界の服飾装飾品などを展示する博物館として
出発しました。
この地は「横浜本町通りゲーテ座」(1870/明治3年創
立) の創始者、オランダ人ヘフトに続いて、横浜在住外
国人達の発案のもとに、フランス人建築家サルダの設
計によって1885(明治18)年に建てられた商業劇場ゲー
テ座の跡地の一部です。

ゲーテ座

ゲーテ座とは、明治・大正時代に横浜在留の外国人、
特に英国人がアマチュア演劇や音楽会を楽しんでいた
小ホールのことで、西洋人による生の西洋演劇に触れ
ることのできる当時唯一の劇場として、坪内逍遙や北
村透谷といった文豪たちが足繁く通ったホールであるの
だそうです。 岩崎博物館の1階にある小さなホールが
山手ゲーテ座で、かつてのゲーテ座を偲ぶ意味から名
づけられたそうです。
岩崎博物館の前の山手本通りで、奥に見えるのが港の
見える丘公園です。
  

外国人墓地

「外国人墓地」は、嘉永七年(1854)、開国交渉に訪
日中であったペリー提督が率いる艦隊のミシシッピ号の
船上で1人の水兵が死亡し、当時、まだ小さな漁村で
あった横浜を一望できるこの丘に埋葬されたことに始ま
りました。その後、相次ぐ尊攘派による外国人殺傷事件
(ロシア艦隊の見習士官モフェト、水兵ソコロフ、生麦事
件のリチャードソン、井土ヶ谷事件のカミュら)などの被
害者や外国人船員の死亡者増加のため、文久元年(1
861)、外国人専用の墓域が定められ、以後、何度か
拡張され、明治初期には現在とほぼ同様の墓域が確
定されました。現在4200人(41カ国)あまりの人々が
眠っています。
  
山手十番館

1967(昭和42)年、明治100年を記念して建てられ外国
人墓地周辺の景観をひときわエキゾチックにしているビ
ューポイントです。1Fは喫茶店、2Fはレストランで、明
治からの古い伝統的なフランス料理を味わえます。抜
群のロケーションと雰囲気のある洋館で超人気。ここの
周辺は神奈川の景勝50選に選ばれています。


山手十番館の中庭
   
山手聖公会

山手聖公会は、1863年(文久3年)、横浜に居留して
いた英米人によって居留地105番(現在の前田橋際)
に、日本初のプロテスタント教会として建設された「クラ
イスト・チャーチ」でした。明治34年(1901)山手の現
在地に移され、尖塔がそびえる赤レンガ造の教会堂が
建てられましたが、関東大震災で倒壊しました。昭和6
年(1931)英国聖公会の援助によって、大谷石の外壁
をもつ現在の教会堂が再建されました。 しかし、この
教会堂も1945年、アメリカ軍の爆撃により屋根を破壊
され、内部を焼失しました。1947年、アメリカ軍とアメリ
カ聖公会の援助を受け、表面に大谷石を貼った石造り
風の外観と鐘塔の重厚な雰囲気に修復され、現在に至
っています。 横浜市認定歴史的建造物

*2005.1.4信者の放火で内部が全焼しました。
 幸い外壁などは残ってまして、修復も可能とのこと。
 修復には億単位の費用がかかるそうです。
 
   
山手資料館

 山手資料館は、明治42年(1909)に本牧1丁目に中
澤邸として、木造2階建の構造で創建されました。2度
の移築を経て、昭和52年(1977)に現在の山手236
番に建ち、民間の資料館として利用されています。
建物は明治期の和洋折衷住宅の洋館部分で、フランス
瓦で葺かれた独特の形をした屋根が特徴的です。

横浜市認定歴史的建造物


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