元町公園入口・山手本町通り脇

元町公園内の遊歩道

プ−ルの管理棟の屋根にもジェラ−ル瓦が
使用されています。
左のプ−ルのある場所もジェラ−ルの水槽や
瓦工場があった所です。
ジェラ−ル水屋敷地下貯水槽の概要(説明文原文)
幕末から横浜に居留したフランス人、A.ジェラ−ルは、山手の丘の麓に湧いている良質の湧水に着目し、
貯水施設をつくり船舶に供給する給水業を営んだ。本施設はそのための地下貯水槽。同氏はジェラ−ル瓦
として名高いフランス瓦製造業も併業し、これら施設はジェラ−ルの水屋敷として親しまれた。平成11年度の
元町公園の再整備に伴い、この地下貯水槽はポケットパ−ク的に整備された。

元町公園。この手前に水屋敷跡があります。

ジェラ−ルの水屋敷の
地下貯水槽
ジェラ−ル水屋敷地下貯水槽の概要(説明文原文)
幕末から横浜に居留したフランス人、A.ジェラ−ルは、山手の丘の麓に湧いている良質の湧水に着目し、
貯水施設をつくり船舶に供給する給水業を営んだ。本施設はそのための地下貯水槽。同氏はジェラ−ル瓦
として名高いフランス瓦製造業も併業し、これら施設はジェラ−ルの水屋敷として親しまれた。
平成11年度の元町公園の再整備に伴い、この地下貯水槽はポケットパ−ク的に整備された。
プ−ルの管理棟の入り口右側に地下貯水槽と
ジェラ−ル瓦の説明パネルが設置されています。
そのパネルから撮った画像です。

上部貯水槽

上部貯水槽
ジェラ−ル水屋敷地下貯水槽「上部貯水槽」 (説明文原文)
昭和63年(1988)、さきに発見されていた下部貯水槽のわき水調査を行った際、上部水槽は発見されました。
これは、A・ジェラ−ルが船舶給水業を行うため建設したもので、この水は、明治時代に船乗りたちの間で
「インド洋に行っても腐らない」と評判を呼んだものです。"ミナト・ヨコハマ"を世界的に有名にした「水」の貯水槽です。
この上部貯水槽は、周囲の山からの湧水が毎分50リットル流れ込み、その水位が1m程度になると
下部貯水槽へ流れるような仕組みになっている。ここで集水し沈澄させる役割を果たす貯水槽と考えられる。
そして、上部貯水槽から堀川までは地下に管を敷設し、川岸から小船に積み替えて横浜港内の
船舶に給水していたようである。

水屋敷の説明パネル
ジェラ−ル水屋敷地下貯水槽脇に水屋敷の説明パネルが
設置されています。

下の画像はそのパネルから拡大した画像です。

当時の山手谷戸坂近辺

水屋敷工場

水屋敷工場

水屋敷工場


今も湧水が出ています。

拡大



ジェラ−ル瓦(西洋瓦)について(説明文原文)
横浜開港後、来日した西洋人は、はじめ和(日本)瓦で葺かれた日本風の建物に住んでいましたが、しだいに自国風の建物を建
て始めます。しかし、建築資材である西洋瓦やレンガ等を舶来品に頼っていたため、品不足に悩まされることもしばしばでした。こ
のことに目を付けたフランス人実業家A.ジェラ−ルは、明治初期に、日本最初の本格的な西洋瓦とレンガの製造工場(A.
GERARD'S STEAM TILE AND BRICK WORKS)を始めました。西洋瓦にはスパニッシュ瓦(スペイン)やフランス瓦(フランス)
などの種類があり、ジェラ−ル瓦はフランス瓦に分類されます。ストレ−ト型(長方形)で、上下左右につめ状の凹凸をつけ、相互
に噛み合わせながら瓦桟に引っ掛けて噴き上げていく技法に特徴があります。この元町公園プ−ル管理棟の屋根の一部は、そ
のジェラ−ル瓦(黒色系統の中期型に分類される1878.1885.1887年銘入り)で葺かれています。

山手80番館遺跡

山手80番館に使われた瓦

山手80番館の説明パネル(下記は原文)
この赤レンガの構造物は、関東大震災前の異人館遺跡で、震災
当時ははマクガワン夫妻の住居となっていたところです。この一
帯は、かって外国人居留地の中心地で、多くの外国人住宅のほ
か、学校・病院・劇場・教会などの西洋建築がたちならんで「異人
館のまち」をつくっていましたが、今日なおその面影をそちこちに
残しています。本遺跡は、煉瓦壁体が鉄棒によって補強されてお
り、耐震上の配慮がなされていましたが、床部のせりあがりや壁
体の亀裂が随所にみられ、関東大震災による被害状況を物語っ
ています。現在、地下室部分を残すだけですが、浄化槽を備え、
古き良き横浜の居留外国人の華やかな暮らしぶりをうかがいしる
ことができます。両わきのタイルは遺構から出土したものを複製
しました。

昭和60年3月 横浜市緑政局
   横浜開港資料館

プ−ルの管理棟
プ−ルの管理棟の入り口右側に地下貯水槽と
ジェラ−ル瓦の説明パネルが設置されています。
そのパネルから撮った画像です。





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